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中学時代 陸上競技 800M @63

中学時代 陸上競技 800M @63

吾一・前や!

中学時代の思い出、監督のこの言葉。

前へ出るんや、前で勝負や。63番は人の後ろで走る番号じゃないんや。試合のレース、もちろん練習においても監督のこの声が聞こえるのです。監督の熱血感、今でも忘れられません。成長過程のど真ん中の中学時代。何事においても真正面から情熱かけて向き合ってくれた監督。受ける印象120%以上。

だから、今でもあの監督の姿を追っているのかも知れません。あの熱血感を。

陸上競技1500M
1年の時、秋季総体・男子1年・1500Mに出場。
800M通過ラップ2分19秒。決勝6着・4分43秒。
これをきっかけに監督から800Mを目指せと言われます。

ちなみに、上の写真は中学2年の春の記録会。1500M 彦根陸上競技場。

部日記
練習は、年に2日だけ休み。1月2日と8月15日。あとの日は、必ず学校へ行って練習。
各週の中には必ず休養日はありますが、ウォーミングアップ程度のことはするので、走っていない日がないですね。
もちろん、1月1日は、元旦マラソンに出場なのです。そして、練習内容は部日記に記録。

日記を監督に提出すると必ずメッセージを書いてもらえるんです。これがけっこう嬉しかったりして。

部日記
部日記のメッセージ。僕の目標となった基準値。砲丸は、昔の重量の時。

部日記
練習中、ミーティング、部日記でも常に言われていたことの一つ、寛之(かわさき)、平田、番野。
この僕と世代が違う先輩方の練習メニューとラップ。

練習中に体が動いていないと、寛之はな~。平田はな~。番野はな~と続くフレーズから一喝。
だから、寛之さんなんてお会いしたことのないはるか格上の先輩なのですが、僕の中では神様みたいな先輩になってしまっていて、とにかくこの3人の先輩のラップにどう近づくか、僕の頭の中はそれしかなかったです。

高畑律夫先生
中学2年生の時、低学年リレー4×100Mで近畿大会出場。
この年、1986年夏季総体・男女総合優勝。全国大会出場者3名。近畿大会出場者14名。
県駅伝・女子優勝V3達成。男子2位・準優勝。近畿大会へ。

僕達の時代は、まだ、全国駅伝がありませんでした。だから、女子は大会3連覇の偉業をなしとげても
県駅伝で終了。今だと、3年連続・全国大会出場と言うことになります。

写真、一番左が高畑律夫・監督。

監督の絶対負けたくない種目。ハードル。走り高跳び。そして、駅伝。この3つ。
ハードルに関しては全国に行かせて予選落ちさせた選手は一人もいないが監督のプライド。そして、駅伝は、チーム色が強いやろ。それに学校をあげてやろ。強くなると学校が盛り上がるんやっ。これが監督の心の中。強い選手の育成がすべてではなく、学校全体のことを考えての陸上競技だったのでしょうね。きっと。

部日記
2年の春頃からっだったかな200M×25本。300M×15本。400M×10。1000M×5。
すべてインターバルでの本数。この本数が基準となって、ロングJOG。インターバル。レペ。
週間でのメニューが組まれ先輩、そして、後輩を率いて走っていました。もちろん、寛之さんのラップと格闘しながら。

そして、一冬超えて、1987年の3月12日の日記。
4月からは3年生の頃の忘れもしない3月12日、冬の練習の総決算。ロングインターバル・1000M×8。
自己との戦い。以後、ロングインターバルは、1000M×6以上が僕の基準になります。

陸上スパイク ナイキ
これが中学3年の時のスパイク。
夏季総体・男子800M出場。記録2分6秒。決勝4着。目標に1秒届かず。。。

部日記
そして、最後の日記。

ラスト100M、僕は2回チャージを入れている。アタリに行っているのです。
あたって割り込まないと前へ出れないからチャージを入れた。あそこをもう少し上手く処理できれば、おそらく5秒台。胸の差をかわして表彰台だったでしょう。けれど、これがレース。63番の走りなのです。

監督から教わった走りを貫いたから後悔なし。

20数年ぶりに監督と会う機会があった時のこと。
僕を見て第一声は。吾一、お前、あとこんなけやったな~って胸の差15センチほどを僕に示して下さいました。
僕の最後のレースを覚えて下さっていたのです。20数年前のレースを。僕は、もう、それで十分。

監督に伝わっていたんだよな。監督に教わった走りが。


●追記

ゲラルドマック 走の基本
心の奥底にしまっていた中学時代の陸上が、監督との再会で大噴火。
数ヶ月後、母校に赴き、陸上部のサポート役を申し入れチームの仲間に入れてもらえることになるのです。
こころよく受けて頂いたのが今の総監督。その時に思い浮かんだのが、熱血指導を受けたゲラルドマックの走基本。

一言で要約すると走る一連の動作を部分の動きに変えてフォームをイメージする基礎トレーニング。陸上から
もう20数年離れている僕。監督のメソッドをもう一度叩きこんで頂こうと教えを頂きに行くのです。

その時、頂いた技術書がこの写真の4冊。フセインとページには赤のマーキング。
何度も読み返されたことが分かる表紙。監督の陸上に賭けた思いが伝わります。

走るイメージ
以後、試合のDVDを撮影し、監督に教えを頂くことになる。何度も通った。そして、上の図は、監督が中学時代、僕達に走基本を徹底させ教えてくれたフォームのイメージ図。監督が描いてくれたものです。

この図は、僕の宝もの。今でも僕の手帳の表紙裏に貼っています。

フォームが綺麗なやつは必ず伸びる。その為には、走る理論だと示された。この図を観ると、当時の教えがスコーンと蘇る。観るべきポイントも分かる。現在、技術も進歩し走る理論がいくつも存在する。それはそれでいい。
けれど、僕が観ているのは中学生。まだ筋力もない生徒がほとんど。その中でのサポートと言うことだ。

根本にあるのは、陸上競技じゃなく部活動なのです。
でも、部活動が陸上競技になってくる瞬間を観る時が1年を通じてある。チームのみんなが成長する時が必ずある。
そこが一番おもしろい。気持ちの変化、技術の向上。サポート業は、暖かい目で信じて待ってやることなのです。

みんなの可能性を信じて。

陸上部
現在の陸上部。2015年11月に行われた駅伝の時の写真。

今の陸上部の監督は、当時、僕のライバルだった選手のお兄さんが監督を務められています。ご縁を感じます。
この巡りあわせには。

監督が絶対に負けたくなかった種目の一つ、駅伝。
僕もその意志を引き継いで、63番の走りをチームのみんなに伝えて行きたいです。

監督が常に投げかけてくれた声を通じて。