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謹賀新年 2020年 元旦

謹賀新年 2020年 元旦

新年あけましておめでとうございます。

昨年の6月、書類上では相続がすべて完了しました。けれども、僕の気持ちの部分では、ご先祖さまが残してくれたものをじっくり見てからが本当の相続だと思っていたので、気持ちは別の所において仕事に邁進しておりました。やっと正月になって時間がとれたので、大晦日の夜から3日間、今をさかのぼること300数年前の元号と向き合い、2020年のお正月を過ごしました。

我が家は代々農家で五平の名を襲名してきたと子供の頃から聞いています。歴代の法名から見ると寛文3年の元号が一番古いです。寛文3年と言うと今から370年前になります。

家系図長さ1メートルあまりの巻物に法名が書かれています。法名で書かれた方すべてご先祖さまです。角田家で生涯を送られているのです。その中には俗名や何家から嫁いでこられたかも記載されています。この法名の巻物は角田家の歴史そのものなのです。
系図左側がオリジナル。右側が明治に入り、8代目・五平さんがオリジナルをまとめ上げ、法名の巻物を製本化されたものです。そのお陰で漢字が読めます。年号もはっきりと分かりました。法名だから亡くなられた日が書かれています。僕はずっと不思議でした。なんで法名なんだろうと。なんで名前を書かないんだと思っていました。てっきり家系図だと思っていたからです。

考えること3日間、見つけ出した資料を見て考えが浮かびました。あくまでも僕の見解ですが、7代目の五平さんの時代の書物に家督相続してからか毎年、初代から6代にかけて、その間、角田家で亡くなられた方すべて7代目の現在を起点に、死後の経過年数が一人ずつ細かく書かれている資料を発見したのです。資料の厚さ2センチはあります。今回アップしていませんが、その資料は、たぶん法要の為なのかなって直感。

法要を行う為には、ご先祖さま一人一人が何回忌にあたるのか知らなければならなかったのです。そして、法名が分からないと法要もできません。だから、歴代のご先祖さまの法名を綴った巻物をまず作り、基準となる資料を作った上で、何月何日が各ご先祖さまの何回忌になるかを把握する。それを、別の台帳を作って毎年の確認事項として把握し綴っておられたのだと思います。毎年のルーチンですね。あくまでも7代目の資料を見て僕の感じる所ですが。

それから、法要は、ご先祖さまを想う気持ちの表れです。そして、それをご縁に当時の角田家の親族の結束を図ったのかなって推測します。でなきゃ蔵にあれだけの善やお碗一式があるはずがありません。法要後の食事の席は大切だったんでしょう。家と家の繋がりを大切にしていた時代ですから。もちろん、結婚披露やお葬式もあったかと思いますが、法要の回数も規模も今以上だったと7代目の書物をみて感じとれます。

石高帳代々農家なので石高帳もあります。写真の石高帳は大正のもの。時系列から考えると、9代目・五平さん。栄次郎さんの石高帳です。よく働かれた9代目だと父から聞いています。石高帳の他にも資産目録やそれに関連する書物もじっくり見られました。当時の田んぼや畑の面積も一筆づつ詳細にこの石高帳に書かれていました。
小字名 中多良これは何かと言えば、農地の小字名が書かれている地図なのです。昭和60年代に始まった区画整備でなくなった小字名もありますが、ほとんどの小字名が現在でも引き継がれています。角田家の農地も当時、この地図の中に点在していて、資産目録と照らし合わせると自作地、貸地、すべてこの資料から読み取れます。
角田五兵衛法名の巻物に焦点を合わせて、この3日間、ご先祖さまの想いを感じ取らせて頂きました。その中でも世代ごとに文字の書体が変わるのが興味深かったですね。石高帳の気合の入った9代目・角田五平も僕は好きです。あの勢いのある力強い書体を見て、体が熱くなりました。けれども、7代目の書体は別各でした。気品があり粋です。心の中は常に冷静で、ものごとに動じない強い心を感じます。

書体から見ると、7代目は五平でなく、五兵衛でゴヘイと呼んでいたのかな。かっこいいな7代目・五兵衛さん。
やっぱり粋だな~

角田家の歴史や石高帳に書かれた検地図に石高。読み切れない数々の資料や帳簿から家督相続の意味や歴代五平さんの頑張りを感じることができました。そして、これからの僕の頑張りを歴代の五平さんに伝えたい思いになりました。それから、昔から思っていたのですが、五平さんに会いたいなって。会って話しがしたいなって。今の僕をどう言うのかなって。そんな想いにもなりました。

米づくりを続けていれば、何処かで五平さんの声を感じる時が来るのだろうと思っています。その声を感じる時を楽しみに待っていたいものです。

2020年、正月。僕は12代目・角田五平になりました。角田家370年の歴史に誇りを持って、時間はかかりますが、米づくりを通じて地域農業を守り、発展させて行きたいです。まずは、自身の経営目標を達成させること。だらしない経営をしていては世界なんて変えられません。まずは、自分が示すこと。自分が示さない限り、人には認めてもらえません。

2020年9月秋、チーム吾一農園が作り上げた金色の田園風景をスタッフみんなで見てみたい。

その時、五平さん言ってくれるかな、12代目よう頑張ったな~って。